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※ルビはカッコ表記です。ご了承ください。
 

THE BLANK TRACK
by
Taki Sara
Copyright © 2007-2014
 by
Taki Sara



   24


 (1枚目)
 <追記>
 兄が、帰ってきたようです。出窓から入る車のライトは兄のロールスロイスのものでしょう。今後の人生を実りあるものにするための瞬間が近づいています。
 ここに“二通の手紙”があります。
 一通は、たった今書き終えた、俺からコテツへ宛てたもの。
 もう一通は、兄である董克昌なる人物から俺へ宛てたもの。
 この二通を、同封いたします。
 そして、この二通の手紙があなたにとって迷惑とならぬように、暫くは知人に預けて数日後に届けてもらうよう取り計らいます。
 俺のことについては忘れて欲しいと言ったことは撤回させてください。
 この手紙を通じて出た結論のとおり誰かに覚えていてもらいたくて俺はこんなことをしているのです。自分の足で歩き出したくてこんなことをしているのです。もう今晩のように助手席に乗っているだけのような人生が嫌で仕方ないのです。
 梁道一

 (2枚目)
 コテツ殿。
 突然の手紙で失礼します。これをあなたが読んでいる時に、俺はどこにいるのでしょうか。今はまだ、はっきりしません。
 ですが確かに言えることが二つあります。
 一つには、この決断を下して行動することによって生じる結果がたとえどんなものであってもそこに後悔はないということ。
 もう一つには、一世一代の賭に協力してくれたあなたにはとても感謝しているということ。
 だから、今こうしてあなたと別れた後になって認(したた)めているこの手紙は、あなたに今日の出来事を悔いては欲しくはないが故に、感謝の気持ちと配慮を以て記されたものなのです。
 厚かましいと感じるようであれば破いて捨ててください。見苦しいと感じても同じ事です。いずれにしても全ての判断はあなたにお任せします。
 なにせもう時間がないのです。今の俺で、あなたに何が伝えられるのかは分かりませんし上手く伝えられる自信もまたありません。
 しかしながら、これはたった今述べたことと矛盾するようなのですが、俺の本心としては、こんな手紙が実在したことを読者の感じる信憑性は別として、せめて誰かに知っておいていただきたかったのです。そして、何故こんなことになってしまったのか、自分でも整理をしておきたいのです。
 これ以降の中文表記の本文については、あなたが信頼のおける方に訳してもらってください。これまでの人生で書き蓄えてきた手記の一部に過ぎませんが、ここに残します。

 (3枚目以降)
 本文※中文表記
 そもそも何故この手紙を残しているのだろうか。これは単に人生を記録するためのものなのだろうか。あるいはそうかもしれませんが、どうやら心にあるのはそれだけではなさそうです。
 きっと誰かに宛てた手紙を書く行為は、良き聞き手に話す行為と同じことなのです。
 俺はこれまでの人生で沢山の手紙を残してきました。しかしそれは、いつも宛先の定まらない、読者のいないものでした。ただ、書くだけで頭と心は不思議と軽くなり安らいでいくのです。
 だからきっとこの手紙も、自分自身を納得させるための手段に過ぎないのです。
 だとすれば納得できるまで書くしかないのです。そして書き続けるより他にもないのです。この薄暗い部屋から出る気がないのならば、俺はそうしていればいい。

 今ここに多くの問題を抱えている青年がいます。心や頭は少年のままです。この身体ばかりが大きく育った少年は、押し寄せる現実の波に肺が詰まり、窒息してしまいそうです。
 現実というやつは、いつも何の前触れもなく唐突にやって来るから、扱いに手を拱いている間にこんなことになってしまった。
 たとえ話をしましょう。

 幼い頃でした。物心がついてまだ間もない頃のことでした。
 雨上がりの空の下、水田地帯に一筋伸びた土手沿いのあぜ道を、乗用車が走っていました。運転席には父親が、助手席には母親がありました。傍から見れば家族旅行に違いないでしょう。しかし家族旅行とは違い、俺以外、兄弟達の姿はありません。
 俺と両親の三人を乗せた車は丸一日近く走ると、水田地帯を抜け、山間を蛇行し、山麓の湖畔に停車しました。
 湖畔の水辺には先客の釣り人がありました。丁度仕掛けには魚が掛かっていたので、はっきりと思い出せます。釣りを初めて見た幼い日の俺は、車から飛び降りると浜辺へと一目散に駆けました。父も母も好きにさせてくれたのです。
 俺は釣り人の隣で爪先を水に浸しながら、もやもやと波打つ湖面を、固唾を飲んで見つめました。いよいよ魚が上がると、身の丈ほどもある巨体が網の中でのたうつ奇妙な光景に忘我さえしたものでした。
 釣り人は魚を水に還しました。
 俺は唐突になぜかと釣り人に訊きました。
 その問いに釣り人は答えましたが、よく聞き取れない声調でした。
 もう一度、俺が慎重に問い直しても、彼は同じようなことを言うのです。
 釣り人は、日本人でした。
 俺は、失望を隠せず、父と母の元へ帰る気になりました。そこではもう一つの失望が待っていました。
 つい先程まで乗っていた車も、両親も、どこを見渡してもまるで見当たらないのです。
 その日も、水が恋しい夏だった。
 日も長い頃でしたが、泣きながら両親を探して歩いたその一日は、時計で時間を測るこれまでの人生が陳腐に思えるほど、悠久にも等しく感じられる時間が与えられたようでした。
 自分でもあきれるほどに涙を落とし、声を上げて喚いたかと思うと呻き、歩いては立ち尽くし、やがて立っていることすらもままならない程に疲弊すると、遂には夜が恐怖となってやって来るのでした。
 長い夜を幾度となく明かしたような気もした。ただ、子供の体力でそう生きながらえることができたとは思えません。逃亡の末にたどり着した場所は、人里に近い寺院でした。
 長くジャスミン畑を歩き回ったせいか、境内へ足を踏み入れた瞬間から、翌朝までの記憶はありません。
 その翌朝には、強い雨音で目覚めました。にもかかわらず、身体は少しも濡れてはいませんでした。
 周囲の景色は、寺院の境内に違いありません。どうやらそこは、大木が迫り出した低い崖を背にした洞穴で、俺は誰かの手によってそこへ運ばれ、地面に敷き詰められた藁床に寝転がされていたのです。
 意外にも、両手の指では数え足りない程の数の人々が、大木を軒先代わりにして雨から逃れていました。人の数の割に、賑わいはありませんでした。人々には活気がないのです。誰もが、筆舌に尽くしがたい不幸を過去に背負って来た者達のように見えました。見えただけでなく、事実そうなのです。
 なぜ、幼い俺にも察せられたのかというと、彼らから自分たちの不幸を開示してくれたからに他ありません。
 寺院には観光客が多く、人々はその観光客に向けて、土笛や木琴を奏でて注意を惹いたかと思えば、自分の不幸を晒し、その代償として、明日の生きる糧を得ていたのです。
 俺は、そんな光景をぼんやりと眺めながら、半日を過ごしました。脇腹から胸へと、親指よりも太い蛭が這っているのに、払い避ける気にもなれません。
 昼前になって、夏特有の雨が上がると、草むらの中から大きな天秤棒を担いだ老人が姿を見せました。朽ちかけた天秤棒の桶の一つには、型の悪い瓜と梨が二つずつ、もう一つの桶には濁った水が満たされていました。
 老人は何も言わずに、薬指と小指の無い右手で瓜をひとつ俺の足下に置くと、水を一口含んで横たわりました。
 俺は、瓜をふたつと梨をひとつ平らげました。梨をひとつ残しておいたつもりでしたが、老人の瓜まで奪ってしまっただけのことです。
 腹が満たされると一旦は眠り、しかしすぐに目を覚まして、寺院を飛び出し湖へ下っていきました。愚かにも再び両親を探しに出たのです。
 また、日が暮れた。構わず一晩中走りました。涙で重くなった目蓋で狭まる視界では、真っ白なジャスミンの花が横一線に尾を引きました。鼻水に爛れた利かない鼻にも嗅ぎ分けられるほどの甘い香りが、胸中で寂しさと混ざり合っていました。
 朝日が差して、擦り切れた足首が露わになると、いい加減に寺院へ戻る気になりました。
 境内の坂を上がると、崖の懐で人々が楽器を奏でていました。俺を助けてくれた老人はまだ横たわったままです。
 近づくと濁った水の入った桶が倒れており、梨が地面の窪みに嵌まっていました。桶から水が流れ、老人の爪先を突いていました。
 そこで老人に触れると、絶えた彼の息があった。
 やがて夜の気配を感じた。
 いつから流れていたのかも知らぬ涙が止まった。
 そしてようやく、気がついた。
 捨てられたのだな、と。
 ほらこうして、現実は唐突にやってくるではないですか。

 俺が初めて彼女と出会ったのは、崖下の暮らしにも慣れた翌年の夏でした。
 ジャスミンの花を編んだ装飾雑貨を片手に商いながら、野山の作物を糧になんとか生きながらえていたのです。
 俺の人生は、夏が狂わせてきました。ジャスミンの花が野を白く染めていく都度、俺自身は、いつも変わらざるを得ないのです。
 その夏、地方は珍しく干魃に見合われました。
 収穫場に茂るジャスミンはほとんどが萎垂れ、観光客もめっきり減り、多くの仲間達が力尽きました。なのに俺は、だらだらとか細い命を引き延ばし、いつまでも親離れのできない子供と同じで、ジャスミン畑から離れられないでいました。毎日捨てられた場所へ行っては、日照りの中で誰かを待ちました。そうして、もやもやとした期待が当然のごとく何度も打ち砕かれるにつれ、俺は徐々に確信を深めていきました。
 確信は、いつの日かを境に、ある結論至るのです。
 ここには何もない。ここよりも遠くに行かねば希望は見つからないのではないか。いや、ここにない以上、希望はもはや、遠くにしか存在し得ない。
 経験に裏打ちされた信念だったのです。
 俺はできる限り遠くまで歩こうと決めました。視線は常に、これまでの人生と同じように、足下の茂みに注いだままなのに。
 どれくらい歩いたか、あの広いジャスミン畑でどうしてこんなことが起こったのか不思議で仕方が無いけれど、一人の少女と鉢合わせたのです。
 俺も彼女も、自分たちの足下ばかりに気を取られていたので、しこたま強く頭頂部同士を打ち付け合ったのでした。
「ごめんなさい」
 最初に彼女は、そんなようなことを言いました。それから、いけない、いけない、またやってしまった、というようなことを付け加え、ひっくりかえった籐籠はそのままに、俺へ手を差し伸べたのです。その指先には、ジャスミンの花弁が塗(まぶ)されていました。俺より彼女の方が派手に転んだはずなのに、それでもまだ彼女の身形の方が余程清潔でした。俺はどうにもそれが恥ずかしくて、彼女の腕を無視すると、散らばった花を掻き集めに掛かりました。
「あら、あなたもジャスミンを?」
 その問いには驚かされました。こんなに小綺麗に身繕いをした少女に、自分のような者との共通点があるなど、まるで予期していなかったのです。
「でも、あなたのとわたしの、もう区別がつかなくなっちゃったわね」
 屈託のない、可笑しさを堪(こら)えている表情を眺めていれば、もう花のことなど些細なことだ。誰かに会えたという澄んだ喜びが、これまでの全ての悲しみを帳消しにするように、胸の真ん中であたたかく広がっているのだから。
「あなたは良くここへ来る?」
 言葉が終わらぬうちに、南風が彼女の髪を煽ると、髪一本一本の隙間から夕陽がちらちらと光を投げ、俺の目に刺さるのでした。陰りはじめた野原に目を戻せば、一輪のジャスミンが最後の力を振り絞り、ぽつりと咲いたところでした。
 俺は、彼女の問いへ、良く来ると、でっちあげの返答をしました。
「わたしははじめてなの。いつも庭先で花を摘んでいたけれど、ここ最近はこんな気候のせいか咲いているものが少なくて」
 また明日も来る予定だと嘘で補(つくろ)いました。鼓動が早まり、思考は泡のように膨らんで、その都度弾けて消えました。
「良く来るなら、どの辺りが綺麗に咲くのか、案内してくれると嬉しいな」
 もちろんだという返事と共に、礼儀もわきまえず、俺は彼女の名を尋ねました。
「陸(ルー)」だと、彼女は微笑み、それから名を尋ね返してくれました。
 俺は、梁道一だと名乗りました。
 彼女は、童話の中のジャスミンの少女のようだった。

 とある資産家の別荘に住み込みで働く下女の娘。それが陸でした。父親については聞かされませんでしたから、おそらく彼女はもう父親と接点を持たなかったのでしょう。
 彼女が何故いつもジャスミンを摘んでいるのか。その理由は、当然俺のような者とは異なりました。彼女の摘む花は、単純に友人への捧げ物なのです。
 彼女の生活は豊かなものでした。
 学校へ通いながら、別荘では将来のために下働きをし、資産家の親族達からだけでなく、同僚達からもそれはもう可愛がられていました。
 しかし、当時から今に至る限り、俺の知るところでは、陸が花を贈りたがるような親しき友人は、一人しかいないのです。
 その友人は、資産家の一人娘で、名を丁玲といいます。
 補足として付け加えておくならば、その資産家の姓は董という、歴とした大家として地方の各所では名が通っていました。そのためやや世間と隔絶されたと言っても過言ではない境遇に育つ丁玲という少女にとっても、陸はかけがえのない友人であり、互い同士が貴重な存在として依存し合っていたのです。
 丁玲は当時、俺や陸と比べれば格段に背が高く体力もあり、怖い物知らずで、誰もが想像する資産家の令嬢といった雰囲気の似つかわしくない女子でした。
 丁玲がはじめてジャスミン畑に姿を見せた折、俺は指をさされて嘲笑されたことを強く覚えています。その丁玲の隣では、陸が赤く小さくなっていました。
 友人であるという陸の紹介に、丁玲は気分でも悪くしたのか、靴底でジャスミンを踏み躙りました。
「身の程知らず。重々、陸に感謝すること。陸にとって私以上の友人は必要ない」
 わざわざそんなことを、激しい口調でぐいぐいと押しつけがましく言うのです。彼女たちの仲に割って入ろうなどという勇気を持たない俺としては、面食らわずにはいられませんでした。
 それも、お世辞にも社交性に富んだ生活を送っていたとは言えない俺にそう思われたのですから、この女子の性格については、あとはもう語る必要はないでしょう。
 そうではありながら、俺たちは本能的に対話者を欲していたのか、馬が合わないなりにも、ほぼ毎日のようにジャスミン畑で出会い、同じ夏の日々を奔放に過ごしたのでした。
 費やす日々に、惜しさや悔しみなど少しもありませんでした。
 やがて風が乾き、野がしみったれた干し草の山になって、ジャスミンが咲かなくなっても、約束の場所と三人は変わりませんでした。
 俺の視線は、いつしか足下から彼女たちの表情へと自然に移り、その向こうの陽光を浴びると、長い眠りから覚めていったのです。
 彼女たちからさらに遠くに目をやれば、野の切れた先にある山間で、一日に二回、昼と夕に軍用の戦闘機が規則的に空を断ちます。その時刻は集合と解散の目安となるのでした。たとえ日没を迎えても、火鉢から爆ぜるがごとく光る蛍の群れが、俺を導いてくれるのです。
 夏にはジャスミンが、春と秋には蛍の群生が、光の粒となって、いつも俺を守ってくれました。
 やがて秋が思い出となって去りました。
 陸と丁玲は、季節の移ろいに溶け込むように少しずつ衣類を重ね、肌の色を白く変えました。寒い寒いと、彼女達はいつも口を揃えて頷き合いました。
 俺はそんな時、いつも崖下の住人達に習って火を焚いたり、分厚い藁の山に潜ったりして暖をとるのでした。
 しかし幸か不幸か、こんなことがきっかけで、彼女達の同情心が芽生え、とうとう俺は董家別荘の屋内に足を踏み入れることになったのです。
 丁度、北の地からの風が、雪雲をこの地に置いていった、本格的な冬の到来を知らせる晩のことでした。

 玄関の戸を潜るや否や丁玲に忠告されると、記憶の汚泥に塗(まみ)れた、礼儀という人間の奇妙な習慣が、ぶくぶくと泡を立てて昇ってきて弾け、懐かしさを匂わせました。
「道一、挨拶もなしに上がろうなんて、なってないわね。ねぇ、誰か! この男の子を湯に入れてちょうだい」
 廊下の先から、やせっぽちの青白い少年の顔が覗いたかと思うと、蒸気のように直ぐに姿が見えなくなりました。
「克昌、いるなら出てきてよ。わたしにやらせる気?」
 やせっぽちの少年は、埃みたいに息を潜めたまま出てきませんでした。入れ替わりに、陸の母親と名乗る女中がエプロンで手を拭いながら姿を見せました。
 彼女は柔和な笑みで、俺にとって少し酷なことを言いました。
「お嬢様も、陸も、程ほどにしておきなさい。親族の皆様には黙っておりますが、どうかこれ以上無用な飯事(ままごと)はお慎み願います。董家を見る目もございます」
「何が程ほどによ」
 案の定、丁玲は口答えし、長々と抗弁を続けました。
「何がよくて、何がわるいのか、はっきり分けて言ってちょうだい。それではじめて手が打てるんじゃない」
「お嬢様、よい部分など、まるでございません。分けようとしても、分けられない物事も多くございます」
「何よそれ。認める気なんて始めからありはしないのね」
 二人のやりとりは暫くそんな風に親子喧嘩さながらの調子で続きましたが、やはり雇われる側が身を引くのが世の常とでも言いましょうか、結局、陸の母親が渋りながらも目を瞑る形となりました。
 その日の深夜、丁玲の手によって俺は風呂に入れられたのでした。
 嫌な気持ちはしませんでした。ただ、蛇口から降り注ぐ湯が化膿した傷口を叩くと、濡れた四肢が強張ってしまい自力で立つこともできないのです。それでも俺は、この上のない安らぎに包まれていました。悪寒が、日だまりみたいに、俺を暖めるのです。
「あんた怖いの?」
 俺は違うとだけ、丁玲に言い返しました。
「じゃあ何で、そんなに震えているのよ。まさかまだ寒いっていうの」
 当初の丁玲の指摘は図星でした。俺は怯えていたのです。ただ当時の俺では、何に怯えているのかすら、皆目見当がつかなかっただけのことなのです。
「どちらにしても、ここにいれば震える必要なんてないのに」
 別にそれは皮肉などではなく、彼女が本心から発した慰めの言葉でした。
「今度、父様に会ったら、あなたが何を克服すればここに居られるようになるか、課題を示してもらいましょう」
 課題だとか克服だとか、そんなものはこれまでの人生を顧みる限り、俺に馴染むはずがないのです。
「あなた次第で、なんとかなるかもね」
 俺は、はっきり胸の内の情動を自覚しました。誰にどう言われようと、掛け値なしに、もうどこへも出たくないのだと。
 そして今だから言葉にできることなのですが、俺はどうやら、外の世界で待っている寒さや孤独、さらには飢えやひもじさよりも、待ち構えている挫折という名の苦汁を舐める行為が、とにかく恐ろしかったのです。
 旅先で捨てられたこと。誰も居ないジャスミン畑での奔走。陸のいない時間。いや、もっと前、都会で暮らしていた頃にも薄々気がつきつつあった、無用な争いや、世の中へ諦観する人々。そして、これからの人生でも幾度となく、津波のように押し寄せてくる敗北の場面の数々に、勝者というありもしない幻像が、いつまでも執拗に立ち塞がるのです。

 別荘での生活などというものは得てして気ままなものであるべきです。少し刺激が足りないといった可愛げのある不満が、時折思い出したかのように気をもたげるような日々が理想的なのです。
 朝から晩まで、一日は節目がないまま終わり、またそんな調子で翌日がやって来て、気がつくと一週間が経ち、一月は一日よりも早く過ぎ去っていく。
 別荘には、丁玲と陸の他に、あの青白い克昌という少年もいました。四人が揃えば姦しいものでしたが、丁玲と克昌は、年がら年中、別荘に居座っているわけではありません。季節の変わり目だとか、バカンスだとか、祭事になると、どこからかひょっこりと大勢を侍らせて現れ、気がつくと、毎日白々しい顔をして別荘での寝食を共にしているのです。
 その癖消えるときは、散々帰りたくないと駄々をこねながら迎えの車に乗せられて、妙に現実的な様子でどこかに消えていくのです。そして俺はというと、陸とその母親と三人で、離れ小島のような生活を満喫していたのです。
 この頃になると、陸の母親も、随分と俺には寛容になっていたものでした。
 長く穏やかな、凪のような日々が繰り返しました。
 そんな風に別荘で迎えた二年目の夏に、停滞の日々へ流れ込んだものがありました。流れは、凶変と称したくなるようなものでしたが、正確に言えば、そもそも俺自身が、なぜ別荘に住まわされていたのか、全くもってこれまで理解さえしていなかっただけのことなのです。
 変化の予兆は、ふてぶてしい態度でドクターと呼ばれる白装束の男がやって来て、此処こそ療養所に相応しいではないかと叫んだのに、端を発します。
 次には、建築士だと自称する、両前の背広を着けた男が姿を見せ、背丈よりも大きな図面を広げると改修工事の指揮を執り始めたのです。
 まるでジャスミンの童話だなと、俺は思いました。
 人々の出入りが増えると、陸とその母親は、これまで共に過ごした長い時間が嘘だとでもいうように、一切の痕跡も残さずに別荘から消えました。そこには、別れの挨拶も、別れの顔も、残りませんでした。
 陸は、俺の中で、そのままジャスミンの童話の少女へと姿形を変えました。でなければ、療養所となった別荘での新たな生活に、俺はとても耐えられなかったのです。
 迎えた療養所の竣工日に、頭領は、ドクターと給士、それから丁玲を携えて純白の愛車で乗り付けました。
 俺はその時、庭先で全員を迎えましたが、誰からもここに居ていいとも、ここから出て行けとも、声をかけられることはないのです。だから、とりあえずそこに居ることしかできず、いつか陸が現実の世界へと帰って来る日を切望しながら生きたのです。
 そうしてはじまった五人の生活は、想像していたよりもずっと質素で、一種の厳かさにも似た空気が漂っていました。
 俺はまた、影になりました。
 努めて頭領の気分を害さないよう振る舞い、給士を凌ぐ黒子ぶりを徹し、生活に贅肉を付けぬよう不要な言葉を廃し、息を潜めました。
 しかし当然と言えば当然でしょう。毎晩食卓の席で、頭領は、丁玲に必ずこう訪ねました。
「その少年は、いったい何者なのだ」
 すると丁玲は、問いを前にして思慮に耽り、何か適当な答えが降って湧きやしないかというような、いい加減な表情を見せるのです。そして散々迷った挙げ句、食事だけは用意してあげて頂戴と、お座なりに箸を置くのです。
 こうした親子の会話が何を意味するか、頭の鈍い俺でも理解に容易いのです。つまりは、俺は誰の許しも得ず、これまで董家の別荘に寄生してきたということです。葉ダニも同然の男なのです。
 それにもかかわらず、頭領が力尽くで俺を追い出しにかからなかった事実に、親子の距離感が透けて見えるのです。そしてその距離は、紛れもなく俺によって今も隔たりを強くしているのです。別荘に遊興に訪れていた、かつての二人は、夏空の下でもっと溌剌とした絆を結んでいたはずなのです。
 ある晩、月餅を囓っていた丁玲に、とうとう一つの奇想が降ってきました。
「この男の子は私が育てることにするわ」
 俺は、その時の頭領ほど健やかに笑えた人間を、今日まで見たことがありません。
「喜ばしいことだ。人目につかぬよう、やりなさい」
「二階の一番奥の部屋に入れておくようにするから」
「上海のレン魚よりは大きくならんだろう」
「あれは思いの他、繊細過ぎたわ」
「そうやて世の中を真正面から打ち抜く女に育つのだよ」
「ということだから、もう陸がいないからといって私の前では泣き顔は見せないで頂戴ね。董道一」

 これまでの人生の大半を、俺は“二階の一番奥の部屋”で過ごしてきました。実は、この手紙の大部分は、その部屋で記したのです。誰にも宛てずに、記したのです。
 いつか俺がもう一度、世界という勝者のいない戦場の只中に飛び込んでいこうと決めたときに、自分を奮い立たせるよう、自分の思考の軌跡が必要だと予測していたのかもしれません。
 しかしながら、俺はいつだって、“二階の一番奥の部屋”から飛び出していくことはできたのです。誰も俺を閉じ込めようなどとはしなかったのです。そこに居たのは、俺自身の意思なのです。それなのに、離れられないでいたのは、俺自身の責任に他ならないのです。
 どこかへ行きたいのに、どこへも行けなかったのです。
 どこかへ行かねばならないのに、どこへ行ったら良いのかも、分からなかったのです。
 日常に、縛られているのです。
 ここへ逃げ込んでおきながら、一方では何故かもう、ここだけには居たくないのです。
 自己矛盾を抱え、闇雲に思考の荒野を走りました。毎日、来る日も来る日も走りました。
 俺たちは、世界に落ちればその瞬間から死を忘れ得ぬ苦悩の日々へ一歩踏み出し、視界を閉ざされた救いのない孤独に苛まれ、落涙に染まる人生を生きるより他ないということなのでしょうか。
 他方、この部屋では、そうした呪縛もなく、無理に自我を保つ義務もなく、自己矛盾を抱える宿命などは、もともとないのです。
 ここは胎内なのです。不自由もなく、恐れることもなく、眠りのような優しさと、これからの可能性という免罪符に、悠久にも等しい時間、守られているのです。
 なのに俺は、ここだけにはもう居たくないのです。
 なぜならばここには、生きることへの手触りがないからです。
 守護と希望はあっても、愛はないのです。
 それでは、あの誰もいないジャスミン畑と、何ひとつ変わらないではないですか。
 だからここはひとつ、外に出ようというわけです。この自己矛盾という孤独から救ってくれるものが野垂れ死ぬことであっても、その先で孤独が打ち消されるのであれば構わないではないですか。死の先に孤独があると決まったわけではないのです。
 もはや目的のものは、生きていく意味を超えた場所にあるのです。
 今、俺の頭にあるのは、生きるか死ぬかではなく、行くか行かないか、という問いだけなのです。
 子供と同じで、外へ出て、飽きたらまたここへ、帰ってくればいい。違う人生だが、同じ道を歩むことになるかもしれません。
 俺自身の足で歩くのならば、生きることの罪悪感や不安感からも、遠ざけてくれるでしょう。
 この旅は、滅亡への一本道じゃない。
 この部屋に人生はない。
 行きつく先にも、人生があるとは限らない。
 しかし、何にしても、やってみなければ、はじまらないのです。
 俺はこの部屋を出て、一つ人生をはじめてみなければならないでしょう。

TO BE CONTINUED...
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