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ご感想等頂ければ幸いです。 |
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о 細々日記 「地下室のたき」 о
1月2日(2015年) 題:あけましておめでとうございます
希に見る年始更新です。 といっても、日記だけですが。
それにしても、ここ最近に載せた記事を読み返していると、まるで闘病日記ですね。なんだか見苦しい姿をお見せしてしまい、大変失礼いたしました。
読者様の立場になってみれば、そんなもの読んでも仕方ない。少し考えればわかりそうなものなのに。
今年は健康とハードボイルドの関係について追求を――とも思いましたが、その考え、既にハードボイルドではない。
今年こそは良いニュースと良質の作品の提供を。
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9月25日(2014年) 題:近況を、
闘病、浪人、投獄、破産。挫折を味わうことのない人間は大きくならない。
こんなような言葉、どこかで聞いた覚えがあります。たしか松永安左衛門だったようにも記憶しています。左半分制覇したとも言えますが、もう半分も経験しようとは思いません。
ちょっと深刻な導入になりましたが、自分にはまだ多くの作品を書くアイディアと鬱憤が堆積しており、ここに居る責任を果たしているとは感じ得ません。快復して、書きたいものを書くつもりです。このまま病を、私小説を書くことを選ぶ覚悟はありません。
たしかに、また少し足踏みが続いています。
しかしだからといって何だと言いましょう。これまでの助走から得た勢いで、頂いた感想の言葉を掴んで立ち上がれるよう、まだまだ今この瞬間を進んでいくしかないのです。
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6月23日(2014年) 題:歩むべき
励ましの言葉、ありがたく頂戴しております。
第24編はちょっと毛色がこれまでと異なりますが、これはこれで楽しんで頂ければ幸いです。
今現在、私は病とともに生活し、仕事をしております。
梁道一も、何かに抗っています。
ブランク・トラックに登場する人々は皆、誰もが何かに抗っています。
それはコテツも同様であって、この抗い生きる姿は、探偵でなくとも、人の歩むべき道と、何も変わらないのです。
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5月10日(2014年) 題:近況
いつもいつも、ご声援をくださる読者の方に感謝申し上げます。
このレスポンスがなかったならば、今日までこうした形式で書き続けてくることは不可能だったに違いありません。
(同時に、なんだか自分の力量不足を目の前に突きつけられるような、不甲斐ない気持ちにもなりますが……それでもありがたいのです)
それに伴い、自分に創れる、読者の方にも満足いただける作品とは、一体何だろうと、自問自答を毎日しております。
答えの無い問いかもしれませんが、問うことを止めてはいけないもの、ペンを執ることと同じように続けなければならないものです。 まだまだ、大目に見てやってください。
ところで、NHKドラマでロング・グッドバイが放映中ですね。
私はもう心から楽しんでいます。
「赤いスクーターに乗ったターザン」はさすがに無いか、とか。
「おばあさんが毒殺しようとしているのは確かに犬なのですか」も無しか、なんてことを。
なんだか本筋から外れた感想ばかりで。
そもそも普段、ドラマを観ることはほとんどないのですが、たまに観るとなかなか面白いものです。
ここ最近の新訳をはじめ、こうしてチャンドラーが現代で見直されているのは嬉しいことです。
でも、だからこそ思うのですが、もっとロスマクも取り上げてやってください。
ロスマクファンなので……。
むしろロスマクは、もっと読まれるように宣伝してもらいたいものです。
以下、極めて個人的な駄文で、どうしたらロスマクが売れるのか、考えてみました。
まず前置きとして、理解しておく必要があるのが次の流れです。
本格推理から社会派が派生する過程の中で、ハードボイルも広義のミステリーとして解釈され社会派の一派として扱われてきました。この中でも特にハメットは現実っぽさを重視して、本格推理に特徴的な人工性から逸れていき、社会と人間を現実のまま忠実に描くことに重きを置きました。この流れをくんで、チャンドラーを介し、ロスマクは人間の内面世界に特に焦点を当て、ハードボイルドという描写方法を駆使しながら入り込んでいこうとしていたように思います。
この流れをよく念頭に置いた上で、現代に視点を移してみましょう。
学問の分野が細分化していくのと同じように、広義の社会派ミステリー小説も細分化が進んでいて、通常、サスペンス、ハードボイルド、冒険、ホラー、犯罪小説といったジャンル分けをすると思います。
しかし、自分の見解では、ジャンル分けの後にもう一つ重要な切り口があるのです。そこに注目しないとロスマクの立ち位置が見えて来ないと思うのです。その切り口を簡単に図式すれば、【社会派ミステリー→各ジャンル→「X」】となり、この「X]に位置する仕分けをしてはじめて、ロスマクの立ち位置が浮かび上がってくるということです。
その「X」にある境界とはなにか。それは、社会を中心にしてその周りの人を描くのか、それとも人間を中心に描きながら付加的にそこに社会を存在させているのか、というものです。ここでは仮に前者を「社会中心派ミステリー」、後者を「人間中心派ミステリー」としましょう。
これを明確に差別化することは難しいのですが、よくできた作品は、この二つの要素の最低でもどちらかが、極めて高い水準にあるものです。
ロスマクは当然「人間中心派」に位置すると思います。人間を中心に描いて、人間の繋がりを浮かび上がらせ、家庭(小さな社会)を炙り出している。
これがもし「社会中心派」の描き方ならば、社会における家庭の役割を述べながら、そこから抽象化された何パターンかの家庭像を人工的に造り、登場人物を都合良く立ち回らせるといった、今風な作品が出来上がると思うのです。
この違いを意識すれば、孤立化が進む現代社会の中で、社会ではなく個人に目を向けたロスマクの作品がいかに私たちの背中を押してくれる存在となるか、想像に難くないと思うのです。
こんな切り口で、ロスマクを宣伝しても、やっぱり売れませんかね……。
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3月23日(2014年) 題:作品に関するおことわり
数年ぶりに連載を再開している点を踏まえ、改めて……
「作品中には実在の地名・企業名・団体名・個人名・作品名等が頻出しますが、これらの物語の性質がフィクションである以上、それらは全て想像上の所産にしか過ぎず、実在のものとは一切の関係を持たないことを御了承ください。
また、作品中には一部差別表現ともとられかねない箇所も御座いますが、それらの表記は差別を助長するための目的で掲載されたものでは絶対にありません。御拝読頂いた方の御賢察をお願いいたします」
知人の助言や、色々調べた結果から、作品中に頻出していた実在の名称を一部変更しました。
これらの処置は、実在の固有名詞に関係する一切の事柄と、掲載中の作品には何の関連性もないことをより明確にするためのものですので、読者の方にはご了承頂ければと存じます。
この処置により、作品におけるリアリティ性の乏しさや、未完成な部分が際立つようであれば、それは一切が作者の力量不足です。
次に変更した固有名詞を列挙しておきます。
・ 黄金町 → 黒鉄町
・ 寿町 → 芸者町
・ 加賀町署 → 中華街署
・ 大磯署 → 湘南署
以上です。
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2月8日(2014年) 題:次回更新予定
「骨のある男だ」と、彼は私をそう形容した。「そんな男にも、休暇は必要だな」
「だろうね」と、私はいった。「たっぷり、骨抜きにされてくるよ」
「いや」と、彼は首を横に振った。「息は抜いても、骨は抜かれるな。骨は伸ばすもんだぜ。相棒」
というわけで、なぜだか背骨を痛めております。MRIを撮っても撮っても、連写と呼べるくらいに筒の中を通されて、それでも原因不明で。お医者様には失礼ですが、痛みとの板挟みで、もはや憤りすら……。
とまぁ、それは医者と私の問題ですので、脇に置いておき。
三章の二編については、継続して執筆が進んでおります。二月中の更新が目標です。そのまま年内あわよくば隔月で発表できればと企てておりますが、背骨痛とも格闘になりそうです。
更新まで、今しばらくお待ちください。
それにしても、本日私の住む関東では稀に見る大雪です……。小説の中は常夏なのに。
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12月31日(2013年) 題:ようやく
滑り込みですが、年内更新に間に合いました。
書けていない間でも、励ましのメールを送り続けてくださった方、本当にどうもありがとうございます。こんな年の瀬に来てまでもご心配かけました。
兎にも角にも、未熟さを痛感する日々。
まずは読んでもらうより、今の私にできることは何もなさそうです。
読者の方に、来年も良い年が訪れますように。
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11月17日(2013年) 題:次回更新に向けて
長いようで短かったなんて良く耳にする言葉ですが、私の場合は長いだけでちっとも短く感じなかった5年越しの更新に向けて、ようやく執筆活動を再開しています。この5年間、不毛の大地に、植物を根付かせるために耕し続けた日々だったように思います。
5年前に撒いた種なのか、新しい種なのか、しかしどちらにせよ確かに今この地に芽吹こうとしてる力があるように感じます。
芽が結ぶものが花となるか実となるか枯れ死となるか見当もつきやしません。
またそれが大樹となる、もしくは森林として広がり深い潤いをもたらしてくれるものか、あるいはまたその不毛さに弄ばれるだけなのか、到底知る由もないのです。
ただ、できることは書くことだけで、今はやれることだけをやるのみ。
ということで、ようやく書き始めているという事実を、この場でしっかりと報告させていただければと思った次第です。
年内には三章一遍を更新する予定でいます。
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12月31日(2012年) 題:生存報告
ご無沙汰しております、砂良たきです。
皆様のご記憶の中にまだ住まわせていただいておりますでしょうか。
私のほうはぼちぼちやっております。まずはそれだけ伝えられれば充分。残りはいずれ作品を通じて。
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12月31日(2011年) 題:恒例の大晦日更新
手帳を捲りながら二〇一一年を振り返ってみると、仕事・健康・スポーツ・読書評・ファッション・マネジメントといった単語が目につき、いかにもといったサラリーマン生活を送っています。大掃除をしてみても、釣り道具・写真・サッカー道具・登山道具・自転車・園芸道具・ギター・天体望遠鏡と、脈絡のない物が押し入れの中から転がりでてきます。
でも、ほとんどの物をこの三日間で捨てました。
決して時間を持て余していたわけではありません。しかし、二〇一一年は分散と迷走。世間はともかく、私の場合はこのふた言に尽きると思います。要は暗闇から八方へ手を伸ばしてみたものの掴み損ねるばかりだったのです。
足元に眼を凝らせば、継続と単純化、すなわち初心。
それで、何をのこすのか。もちろん、物書きの精神と、このサイトです。
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6月26日(2011年) 題:まるで子供のような
お久しぶりです。連載の方では長いこと皆様をお待たせしております。また、震災後にこの場で何も報告をしておりませんでしたので、この二点、合わせてお詫びいたします。
さて、こうして改まった口調で切り出したわけですが、実際のところこの改まった態度が震災関係者への慰みにも何もならないことは明白なわけで。その上、私にできたことは、このネットを通じての発声よりも、実生活、それも本業を通じての活動だったわけです。
本人どちらかと言えばこの場でもっともっと精力的に作品を発表していきたいのですが、皮肉なことに、こちらではあまり人より求められず、実生活ではそれとは逆の様相です。しかし、これは贅沢どころか非道な悩みですね。
こう書いていくと、ホームページ閉鎖の危機かとか、また誤解されてしまいそうです。しかし、そのつもりは毛頭なく、この震災を体験し、むしろ新たな貴重な経験を積み、伝えたい事も鬱積し、生きていくことと書いていくことが自分にとってほぼ同じ延長線上にあることを確信しました。
ただし、いまの自分はまだ矮小なのでしょう。
頭と心の中で構想は言葉にならないままうだうだし、いつまでもやってくるはずがない「絶好のとき」を待っている、そんな子供のようです。
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12月31日(2010年)
瞬く間に一年が過ぎ去り、続編を発表できないまま、大晦日を迎えました。こういう場合に限って、どうも私は語りが過ぎるようです。自戒の意味も込めて、今回につきましては、もうこれ以上は口を慎むことにいたします。
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9月20日(2010年) 題:近況報告
またしても作品が掲載できずじまいのまま、最後の更新から9ヶ月弱の月日が経過してしまいました。これだけの期間があり、もし私がテンポ良く筆を走らせるプロ作家だったならば、きっと3作品くらいは完成させることができたかもしれません。
では、それだけの期間、私はなにをしていたのかというと、実際のところはただ日々の生活を営んでいただけでした。自らの衣食住にたいして自らでつけを払い、そのために汗水を流して精神を削り、人の死を目の前にして恐怖し、なるほど今この瞬間が生きているということかと再認識する。なんてそこまで大袈裟にまで思い詰めはしませんでしたが、それでもやはり、ものを自由に書ける時間があった過去を懐かしく思ったりもしました。
こんな風に書いていると、まるで事実上の引退宣言とも捉えかねられませんので、止めておきます。
では創作活動は続けているのかというと、答えはYESです。ついでに言うと、ちゃっかり本も読み、映画を観て、演劇も鑑賞しています。いろいろと、こ慣れてきたといったところでしょうか。創作活動については、残念ながらまだ『ブランク・トラック』には取り掛かれていませんが、現代演劇の脚本に挑戦してみたりと、日々学習しています。この演劇では、地の文がないということで、会話・口語体の勉強になり、また同時に、地の文の重要性が認識できました。会話文による地の文の引き立たせ方、地の文による会話文の引き立たせ方など、新たな発見が目白押しでした。
こうして一つずつステップアップしていくことは、よりよい物語を生み出すための一つの方法でもあると思います。
まだまだ創作意欲は底を尽きないようです。
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12月31日(2009年)
年末ですね。今年も一年間、本当にありがとうございました。ほとんど作品を発表できず終いの一年でしたが、だからこそ励ましの言葉が身に染みたり、この支えが無かったなら今日まで書き続けていられなかったかもしれないと、はっきりと自覚することができました。やはり書き続けたいと、書き上げなくてはならないと、決意が一層強まったことに間違いはありません。
お礼の言葉も程ほどにして、作品の話に移りたいと思います。
一読していただければ分かると思いますが、『デルタ・ハーベスト』は『ブランク・トラック』と同じハードボイルドでも、若干、いえ、かなり趣向を変えた作品です。ダシール・ハメットの新訳版が刊行されたということで、執筆者的には、技量は棚上げしておき、かなりそちら寄りの作品に仕上げてみたつもりです。今までとは違ったポケットから出してきた作品ですので、形にするのに戸惑いもありましたが、書いてみて勉強になった部分も多かったです。
ですが、はっきりと言うと、余程のきっかけがない限り、もう書かない類の作風だと思います。ハメット、チャンドラー、ロスマクで言えば、最も自分から遠いのがハメットに違いありません。作者とはそんなちょっと肌に合わない作品ですが、愉しんでいただければ幸いです。
ちなみに、『ブランク・トラック』は現在も変わらない作風のまま、着地点を目指して飛んでおります。
来年もまたよろしくお願いいたします。
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11月5日(2009年) 題:近況
少しづつ日々の生活に余裕が生まれ、文章勘を取り戻すために休日には読書を愉しんでおります。こんな時、自分にとっての一番の特効薬は、ロス・マクドナルドが晩年期に遺した作品郡だったりします。『眠れる美女』あたりの作品に漂う、あの諦観とも虚脱感ともつかぬ何とも表現し難いにおいが、牛歩ですが確実に自分の嗅覚を研ぎ澄まさせてくれるのです。しかし近々に荻原浩さんの『ハードボイルドエッグ』を読み終えたということもあり、このハードボイルドという敷居の中で全く逆のリビドーを持っているような両者の狭間に自分が落ちてしまい、本を眺める度にどうも苦笑してしまう日々です。
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9月6日(2009年) 題:向かう姿勢
一つの作品を完成させようと思い立ち、構成を練り、決意を胸どころか体中に刻みこんで創作にあたったのは、この「THE BLANK TRACK」がはじめてです。振り返ってみると、この作品とは別の短編を書いていたときでさえ、なんだか一連の長い物語を書いていたような気もする一方で、長編に取り組む今でなお、気の向くままに書いた短編を長編仕様に並べ変えているだけのような気もします。どうも夢現のような、曖昧な創作姿勢になってしまっているのかもしれません。
長編に面と向かうということは、自分自身に根ざした日々見え隠れする問題のひとつひとつと真摯に向かい合い、折り合いをつけ、バラバラの状態からより深いつながりを探り出し、整理していくことなのだと考えています。問題は無数にあり、そのうえ日々の生活の影で見え隠れするものだから、書く営にも山が生まれ谷が生まれ、時にはフェードアウトもあり、そしてならばいつかはフェードインもある。一つの作品創作というスパンで考えても、死ぬまで物を書くというスパンで考えても、結局のところ、この紆余曲折はまとわりついてくるものだと覚悟しなければなりません。
また長々と書かせてもらいましたが、まだまだ大丈夫です。書きたい気持ちは、「THE BLANK TRACK」の一行目を書きはじめた頃と、一切変わっていません。変なプレッシャーもありません。スゴロクをしていて、「一回やすめ」のマスに止まってしまったようなものです。
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7月4日(2009年) 題:生きてます
長患い、とでも言いましょうか、リハビリを兼ねて友人バンドの作詞などにも挑戦中です。
どんなに窮屈な日常であっても、文字には触れる習慣をつけていましたが、自分の中から何かを捻出するという作業から遠ざかっていたため、一文を書くのにもタンカーでも持ち上げるときみたいに踏ん張らないといけない、脆弱な身になってしまいました。3章を期待してこの場所へ何度も足を運んでくださっている方々には本当に申し訳ないなと。そしてその方たちの発する言葉に甘えてしまっている自分を恥ずべきではないかと。
これはストイックとはまた違った性質ですよね。ただ単に不器用なだけなのだと。しかも不器用は言い訳にはならない。ですが不器用でなければ創作などしようと思わないわけですから、ある意味ではこの環境への順応能力の低さも満更ではないのですが。いや、自分語りが過ぎました。
多分、書けない理由は明確なのです。書けない理由を一つ一つリストアップして、それを見つめたとき、日々を忙殺されているだけの現実なのだと認めるのが怖いのでしょう。些かドラマチック過ぎる表現かも知れやしませんが、私がその現実と向き合えるよう、もう少し強くなれる日まで、読者の方たちに待っていただけたのならば、私は幸せ者だと思います。
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5月17日(2009年) 題:見失ってはいません
長く書いていると、それも一つの作品に何年も向き合っていると、こんな風に惰性でしか進めない毎日に懊悩することもあるようです。生きながら上澄みをすくって、溜めながらゆっくり吐き出す。この作品を完成させるにはこの方法しかなく、また同時にこの方法で書き上げるからこそこの作品足り得る。そう思っています。大袈裟です。
1・2章を上回るために、今は必要な時間なのだと割り切って、「ブランク・トラック」よりもさらに先を見据える覚悟です。方角を見失ってはいません。もっとも、いちいち磁石で確かめるような作品を書いているつもりは毛頭ありませんが。
作品を完成させる、これが読んでくださっている方への唯一の恩返し方法ですよね。
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3月8日(2009年)
何と言うか、単純に力不足だなと思わされる出来事が最近続いています。私生活にあれこれと創作活動が振り回されている、この時点で自分はまだまだ半人前なんだと自覚せずにはいられません。そりゃロスマクの半分も生きていない年齢で、枯れているとは言わないまでも豊穣とまでも言えない人生の畑の中で、まだまだ拙い日本語を並べているわけです。作品があぶく銭のように手に入るわけがないのは百も承知、そしてそんな物は僅かも求めていないことも、確かな事実です。創作しなけりゃ自分は生きていられない、そして何より作品の中に浸かっている時間が幸せ。
3章の製作、色々と滞っていますが、今まで温め積み重ねてきた構想を、放り出す気は微塵もありません。
どうかもう暫くお待ちを。必ず完成させます。
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12月20日(2008年)
本業に思いの他手間をとられて更新がやや停滞気味です。
忘年会するなとは言わないからせめて一度にまとめてください……。そもそも酒の飲み方も知らない、学生のサークルが歳を増しただけのような連中とグラスを重ねあわせなければならない利点が見出せない。死に際にそんな数時間が恋しくなるかもしれないと思うと本気で悪寒が……。
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10月15日(2008年) 題 : あとがき風A
2章のラスト、推敲も満足にできぬまま掲載したという経緯があります。20編執筆中という計ったようなタイミングに仕事で寝耳に水の課内移動を宣告され(しかも入社半年で栄転……おいおい)、あれよあれよという間に数週間が過ぎ去り、19編掲載から1ヶ月以上が経過してようやく掲載。クライマックスなのでそれなりに愉しみながら執筆できた反面、ただ勢いだけが増すばかりで繊細な描写が御座なりになり、時間の経過に駆り立てられた結果、とても胸を張って読んでくださいと言える出来栄えではなくなりました。このままでは3章が思いやられます。
現在は納得のいっていない14編を再構成しつつ、3章を練っています。14編は近いうちに再掲載する予定です。伝わる内容には変化がないように配慮しているつもりです。
また、20編は、上記の理由から、個人的にもっと詰めたいという欲望があります。もう少し自分の熱が冷めてから再び推敲していくつもりです。
いよいよ次編から最終章です。ここまで読んでくださっている方、本当にありがとうございます。このまま最後まで実のある物語を語り続けたいという意思は強まるばかりです。プロット等、最終章に相応しいものにできるよう一月ばかり充電期間を頂こうと思います。また暫く更新は停滞するかもしれませんが、数ヶ月後には完結したブランク・トラックを読破した方が、満足以上のものを心に残せるように、自分は書き綴っていきたいと思います。
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5月13日(2008年)
連載を読んでくださっている方、更新停滞気味で申し訳ありません。新生活の始まりということで慌しかったり、季節の変わり目ということで体調を崩したりと、なかなか執筆に集中できない状況が続いておりました。
ですが、そんな状況でもこつこつと書き進め、なんとか本日アップできました。
しかし、それにしたって、14編はあまりに冗長過ぎる内容です……。説明過多だったり、バックグラウンド入れ過ぎたり。なので、シェイプアップさせるかもしれません……。
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3月14日(2008年) 題 : あとがき風
本日、ようやく修正版ブランク・トラック一章がエピローグまで掲載終了いたしました。まだまだ誤字脱字は歌舞伎町のネオン看板みたいに溢れかえっています。煙草を「吸う→喫う」なども修正したかったのですが、とにかく誤字脱字は置いといて――。
純粋なミステリーだと思って一章を読みきってくださった方、申し訳ありません。
各章ごとで一先ず完結という文面を見て読みはじめたのに、「各章で完結してないのでは?」という疑問を最後に抱いた方、申し訳ありません。
全ては私の力量不足です。スミマセン……。
以下、言い訳とお詫びです。
ミステリーというジャンルで、しかも各章完結のメリハリがあるストーリーに仕立てるのが目標でした。が、書きたい要素を収めきれなかったため、一つの事件をだらだらと引っ張ってしまっています……、力量不足です……。また、ミステリーなのに犯人が捕まるどころか、まだ何にも――、なので……、これからはハードボイルド・ミステリーではなくハードボイルド・ドラマと称そうかな、とか反省しています。
それでも「許せネェ。時間返せ」という感想を持たれた方には、もう平謝りするしか御座いません。
もし良ければ、ああだこうだとメールからでも言ってください。大いに今後の参考にさせて頂きます。文章が稚拙とか、アクション場面にはスピード感が欲しいとか、いつまでも同じネタひっぱり過ぎとか、どこどこの描写が足りなかったもしくは無かった、盛り上がりに欠ける、こんなのハードボイルドじゃない、という意見まで、僅かに感じた些細な不満や感想で良いので言ってくださると、今後もっと自分が進歩してより面白い物語を捻出し、皆様に恩返しができるのではないかと思っています。
何はともあれ、ここまで読んで下さった方、本当にありがとうございました。二章は来月の中盤から連載再開を予定しています。
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3月05日(2008年)
取り残されてます……別にこの日記のことではありません。
本屋を逍遥していたら、『ロング・グッドバイ(WRONGの方です)』と『愚か者死すべし』の文庫を発見しました。いつ売り場に並び始めたのか、露知らず。『マンハッタン・オプ』がまだ読み終わってないんですけど……。
その『マンハッタン・オプ』は何年も前から読みたくて、しかもつい先日ようやく手に入れた品なのです。原リョウ氏風に言えば人懐っこい好青年で、北方謙三氏風に言えば甘っちょろい坊やで、さらにチャンドラー風に言えばハードボイルドが闇雲に好きという他にはとくに変わったところのないあたりまえの青年であるわたしにとって、絶版となったこの作品は、まさに長いこと入手困難なハードボイルド小説の代名詞だったわけです。それがようやくソフトバンク文庫のおかげで本棚に並んだということでして……。しかも一読してみると、ギブスン一杯傾けなければやってられない面白さ(笑)。良いお手本が手に入りました。
日記なので、特に主張もへったくれも無く唐突に終わろうと思います。
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1月31日(2008年)
久しぶりの更新です。
実は……、構成を大幅に変更して一章の中だるみを解消しようと挑戦中です。
時間を置いてみると、誤字脱字は大規模な自然災害レベルでひどいですね……。
その上文章も破綻しています。
「虚ろな表情がわたしを見定めた」って……。表情は見定めないですよね。
具合を見ながらそんな調子で、一章修正版はもう直ぐ完成します。
せっかく修正したので多分アップします。
もっと精進しなければ……
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12月20日(2007年)
何故だかブログの方が非常に繋がりが悪いので、こちらに引越しました。
それはそうと……ごめんなさい、またアップロードを失敗していました……。
10編から11・12編の方へ飛べない状況でしたので、修正しときました。こんなのばっか、申し訳ないです。
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